厳冬期の伯耆大山へ

中国地方の最高峰であり、その堂々たる独立峰の山容から富士とも並び称される伯耆大山。 登山好きとしても、中国地方出身者としても、その名前自体に親しみはあったのですが、鳥取という近場よりも、気持ちはいつもアルプスなどの遠方にばかり向いていたため、登る対象としての関心を持つことは特にありませんでした。   その大山の存在を強烈に意識するきっかけになったのは、昨年の5月、奥大山と呼ばれる山域にある烏ヶ山(からすがせん)に登りに行った時のことです。この山へ向かったのは、サントリー天然水のCMで宇多田ヒカルが登っていたことに影響されたためでしたが、テントを張った鏡ヶ成の広々とした気持ちの良い高原の景観、そして何より烏ヶ山山頂から目の前に聳え立つ大山南壁の圧倒的な迫力に、こんなとてつもない山と周辺の素晴らしい自然環境のそばに暮らしていながら、今…続きを読む

2021年の吉賀町の暮らしを振り返る

2021年の「森師研修員」 4月の着任から8ヵ月ほどが経過しました。 先輩のいない1期生ならではの試行錯誤に加え、暮らしの変化への適応や新たな人々との出会いなど、 日々の積み重ねを経て、いろいろなことが徐々に軌道に乗りつつあるように思われます。 今はこれからの本格的な寒さの到来を前に、防寒対策に考えを巡らしているところです。 とりあえず作業の休憩時間は、焚火で暖をとることでやり過ごしています。 初回の記事にも記しましたが、吉賀町の「地域おこし協力隊」である「森師研修員」は、複数年かけて毎年3名ほどを募集し、養成していく計画になっています。 来年度の募集にも、とりあえず定員以上の方の応募がある状況ですので、順当にいけばまた3人が加わることになりそうです。 来年3月には2年目を迎える我々は、これまでの「道作り」に加え、新たに導入する林業用の重機…続きを読む

幸田文の『崩れ』を読む

「日本三大崩れ」とは 1991年に出版された幸田文の著書『崩れ』を読んでいて、「日本三大崩れ」という言葉が目に留まりました。 「崩れ」とは、大地震などに端を発する土石流による崩壊地のことで、「三大」は、主に静岡の「大谷(おおや)崩れ」、長野の「稗田山(ひえだやま)崩れ」、富山の「鳶山(とんびやま)崩れ」を指すのだそうです。 そしてこれらのうちの「鳶山崩れ」は、私が今夏に北アルプスに赴いた際に(前々回の記事『黒部源流めぐり』)、五色ヶ原付近で見た光景のことを指すのだと知りました。 幸田は、この光景を前に以下のように記しています。 憚らずにいうなら、見た一瞬に、これが崩壊というものの本源の姿かな、と動じたほど圧迫感があった。むろん崩れである以上、そして山である以上、崩壊物は低いほうへ崩れ落ちるという一定の法則はありながら、その崩れぶりが無体とい…続きを読む

森を歩く① -鈴ノ大谷編-

吉賀町の椛谷(かばたに)地区にある鈴ノ大谷(すずのおおたに)山は、かつてこの地域を治めていた津和野藩の御立山(おたてやま※藩の直轄林)としてモミやケヤキなどの原生林が保護されてきた歴史があります。 その後、明治に移り変わるとともに森は国有林となり、続く昭和期に入ると国内の木材需要の高まりに応じるため、多くの「木こり」たちが原生林へと入り、伐り出した巨大な木材を運ぶ森林鉄道や製材所、また彼らの家族を中心とした集落までもを含んだ、西日本有数の一大伐採拠点をこの地に築きました。 それももう一世紀近くの昔の話となり、今では立ち入る者もまれなその森。けれどそこには未だ往時の遺構が残されているといいます。 私が森や樹木について教わっている益田市在住の「森林インストラクター」津島辰雄さん(NPO「日本に健全な森をつくり直す委員会」の委員も務めていらっしゃ…続きを読む

黒部源流めぐり

北アルプスの最奥部、黒部源流エリアへ 先日休みを利用して、憧れだった北アルプス最奥にある黒部源流エリアへ行ってきました。テント場や山小屋を利用しながらの5泊6日の山行でしたが、そこへ行ってみようと思ったきっかけは、伊藤正一・著『黒部の山賊』、やまとけいこ・著『黒部源流山小屋ぐらし』の2冊の本にあります。 どこの人里からも奥まった地にあるため、古くからの人間社会との関わりの記録はほとんど残っておらず、「日本最後の秘境」とまでいわれたこの山域。その地に山小屋文化を築き上げた伊藤正一が著した『黒部の山賊』には、戦国武将・佐々成政の埋蔵金伝説に引き寄せられるように集った様々な山師たちの逸話や、「山賊」と称された伝説的なマタギたちの活躍により山小屋が建設されていった経緯、また彼らが遭遇した多くの怪奇譚などが魅力たっぷりに語られています。 そんないわく…続きを読む