大雪山と樹海を歩く
この夏、夏季休暇を利用して、北海道の中心部に聳える大雪山系を縦走してきました。
アルプスと比べて登山者の数も少ない中、ヒグマやエゾシカ、ナキウサギなどの貴重な野生動物たちが息づく様子や、構造土が生み出す不思議な景観、鮮やかな高山植物の花々を見ながら雄大なフィールドを計5日ほどかけて歩く、素晴らしい時間でした。
ただ私がこの旅行で北海道に来たのは、登山以外にもう一つの目的がありました。
それは「富良野市生涯学習センター」で開かれた、どろ亀さんとC.W.ニコルさんの追悼展示会「森の心、そして祈り」と、それと並行する形で催された「東京大学北海道演習林の見学会」に参加にすることでした。
北海道開拓期の1899年(明治32年)に創設された「東京大学北海道演習林」は、およそ2万3000haもの広大な敷地から「樹海」の名を持っています。
上の写真にあるような、富良野市や美瑛町のなだらかに波打つような地形は「波状丘陵」と呼ばれ、100万~200万年前に十勝岳の噴火の溶岩流により形作られました。
現在はラベンダーのいちめん紫の花畑や、麦わら(麦稈)ロールが転がる農地など、観光や農業を通じて多くの恩恵を地域にもたらしていますが、その地形のなだらかさは、林業にも大変適しているように思われます。
写真の奥に聳えるのが、芦別岳を主峰とする夕張山地です。
この広大な北海道演習林の林長を、1942年から74年の退官まで勤めたのが、「どろ亀さん」こと高橋延清(のぶきよ)さん。
東京大学の教授でありながら、生涯一度も大学の教壇に立つことなく、泥まみれになりながら森を歩き続け、木々と語らう現場の人でした。
東京大学北海道演習林は、様々な学問の研究や教育、環境保全や市民との連携の場であるとともに、活発な木材生産(経済行為)の場でもあります。
ただ、本州以南のスギ・ヒノキ林、北海道でいうところのカラマツ林のような単種の「一斉人工林」とは異なり、あくまで北海道天然の「針広混交林」による施業がここでは行われています。
この天然林の維持管理の手法が、どろ亀さん考案の「林分施業法」といわれるものです。この林分施業法が具体的にどのように行われているのか、そしてその森は一体どのような森なのかが、私が見たかったものでした。
「林分施業法」とは
「林分施業法」は1958年頃から開始され、広大な面積を持つ森を、針葉樹が優占がする「針葉樹択伐林」、広葉樹が優占がする「広葉樹択伐林」、成長が芳しくなく人の手による補助を積極的に行う「疎生林」、火事や風害からの再生を目指す「二次林」、「生態系保全林」などの林種で細かく区分し、それぞれに異なったアプローチを行っていく施業法です。
どろ亀さんはこの手法を、『ある日、懇意にしていたトドマツの木から教わった』といっています。
施業を開始した当初は3つほどの林種区分でしたが、どろ亀さん亡き後も、時代に合わせて新たな手法を採用し、現在は13の区分がされています。
写真ではわかりにくいですが、上が「針葉樹優占林」、下が「広葉樹優占の林相」です。
どちらかというと〝劣勢の木を間引くという考え”のもとで行う「間伐」に対し、一般に「択伐」は優勢の、〝収穫し頃の木を伐る作業”をいいます。
そして場合によっては、伐ると同時に中・下層木の成長を促すことで、森の更新を行っていくための手法でもあり、この収穫=更新としての択伐の考え方を徹底しているのが、北海道演習林の行う「天然林施業」と言えるのだと思います。その択伐を、各林分ごとに15~30年ほどのスパンで行っていくそうです。
一口に「択伐(抜き伐り)」といっても、森林全体の成長量や機能の最大化、生態系の多様性確保について考えながら、同時に持続的な木材生産を行えるように配慮していくわけですので、どれを伐るのかの選木の考え方は、大変に複雑、かつ奥が深いものだと感じました。
「収穫し頃の木を伐る」のが択伐、と上に書きましたが、北海道演習林においては、森全体の成長を考え、収穫し頃を少し過ぎた、衰え始めた木を伐るようにしていると聞き、そのこともとても興味深く思われました。
材は、ミズナラは酒樽や家具、シナノキやオオバボダイジュはシナベニヤ、エゾヤマザクラは漆器など、多様な用途で売りに出され、平均の年間生産量は2~3万立方メートル、売上は約9000万円にのぼるといいます。
2022年には、ウダイカンバの約11mの丸太が770万円という過去最高額で落札されたそうです。
森林が持つ環境性と生産性を、これほどに高いレベルで両立・維持している例があるとは知らず、驚きました。
長年の徹底したデータ収集・調査、全長およそ900キロにもなる高密度の林道・作業道路網、何より実際に森を歩き、見ることを重視した「どろ亀イズム」を継承した職員の方々の奮闘が可能にした、〝世界をリードする森づくり・森林経営”が、ここにあるのだと感じました。
上の写真はどろ亀さんの著書にも登場する、どろ亀さんの〝お気に入り”であったミズナラの巨木。
ミズナラとは思えない通直ぶりと立派な枝張りでを持つ大変に美しい木で、現在は保全の対象となっています。このような木々らと語らいながら、昨今至るところで耳にするようになった「持続可能性」という理念を、どろ亀さんは半世紀以上も前から考え、実践していました。
エゾマツの倒木更新
以前の記事で幸田文の『崩れ』という本について触れましたが、同著者の『木』という著作において、幸田が「エゾマツの倒木更新をどうしても一目見たい」と、この北海道演習林を訪れている有名な章があります。
「倒木更新」というのは、倒れた木の上に新たな稚樹が芽生え、更新していく現象をいいます。
これは一般的に見られるものではあるものの、北海道演習林のエゾマツの倒木更新には特別な意味があります。
というのも、本来、エゾマツはサハリンなどのより北方の気候に適した種であり、この富良野の地では種子が地表に落ちても、菌や周囲のササなどに負けて、うまく成長することができないからです。少し周囲より高さがあって日が当たりやすく、また適度に腐朽した栄養分の多い倒木上のみを苗床として、エゾマツの幼樹は育つことができます。
幸田の本を読んで以来、「エゾマツの〝倒木更新”は私がいつか見たいもの」の一つでしたので、この貴重な機会をもてたのは、とても嬉しいことでした。