中国地方の最高峰であり、その堂々たる独立峰の山容から富士とも並び称される伯耆大山。
登山好きとしても、中国地方出身者としても、その名前自体に親しみはあったのですが、鳥取という近場よりも、気持ちはいつもアルプスなどの遠方にばかり向いていたため、登る対象としての関心を持つことは特にありませんでした。
その大山の存在を強烈に意識するきっかけになったのは、昨年の5月、奥大山と呼ばれる山域にある烏ヶ山(からすがせん)に登りに行った時のことです。この山へ向かったのは、サントリー天然水のCMで宇多田ヒカルが登っていたことに影響されたためでしたが、テントを張った鏡ヶ成の広々とした気持ちの良い高原の景観、そして何より烏ヶ山山頂から目の前に聳え立つ大山南壁の圧倒的な迫力に、こんなとてつもない山と周辺の素晴らしい自然環境のそばに暮らしていながら、今までまったく目を向けてこなかったことがとてももったいなく感じられました。
いつか大山を登るときは、あえて多くの人々がハイキング感覚で足を向ける季節よりも、新田次郎の『孤高の人』にも描かれた登山家・加藤文太郎も苦しめたという厳冬期こそを選びたい。烏ヶ山の山頂に立った時のその思いつきを果たすべく、今回の登山へ向かいました。
(ちなみに前述したサントリー天然水を育むための「サントリー天然水の森」は、我々森師研修員の師である山中正さんの、そのまた師匠である奈良の林業家・岡橋清元さんや榎本林業の方の手により“作業道”がつけられているようです。そうした森づくりの現場もいつか訪ねていけたらと思います)
冬の伯耆大山へ
私の冬山登山経験はまだ少ないため、今回は好日山荘のガイドツアーに参加させていただきました。エヴェレストやチョー・オユーなども制したベテラン登山ガイドの加藤智二さんに率いていただけることは、山行への安心感はもちろん、登山技術を学ぶ良い機会です。
当日はピンポイントで寒波が到来し、大山の姿ははすべて雪雲に覆い隠されており、わずかな晴れ間さえも期待はできなさそうでした。ふもとの積雪量は2mほど。家々の軒先には巨大つららが垂れ、多くの人が店の入り口に通ずる道づくりのための雪かきに追われており、まるでまったく別の国に来たかのようでした。
天候の悪さから登頂を諦め、引き返してくる登山客たちもおり、登山そのものが危ぶまれる不安な出だしでしたが、
それでもやはり雪の山はとても美しいもの。もこもこ樹氷のブナ林を抜けて、
雪に埋もれた六合目避難小屋へ。風が思ったよりも弱いと判断し、登山は続行されることに。
でもここから先、特に八合目以降はまったくの別世界でした。
吹雪が一気に強まり、歩いているのがやっとの状況で、写真を撮る余裕もありません。
本来なら切り立った稜線上であるはずの登山道沿いに、20mほどの間隔を置いて細い青のポールが立てられているのですが、それがほとんど見えません。そしてそれが見えなければ、どこへ向かって歩いていけばいいのかが(ガイドさんでも)まったくわからないのです。もし自分だけの登山なら、このあたりで確実に引き返していたことでしょう。
もっと酷くなれば、雪で道の表面の凹凸が一切なくなるため、目の前に傾斜があるのかどうか、あるとしてもそれがどれくらいの角度のものなのかがわからなくなり、雪玉を放って様子を見て、はじめてそこが平たい場所だとわかった、といったような状況になるとのことです。またホワイトアウトになれば見当識を喪失し、先頭を歩く人間が酔っぱらったようになるからすぐに交代をしないといけないとも。その話を聞いて、八甲田山の雪中行軍を思い出さずにはいられませんでした。
どうやら山頂の弥山に着いたらしく、山頂避難小屋がありました。かなり大きな建物のようですが、すぐそばに近づくまでそこにあることがわかりませんでした。
小屋は六合目のものよりさらに雪に埋もれており、入り口まで掘られた洞窟のような暗い小さな穴を滑り降りて中へと入り、体の火照りが消えない程度の短い休憩をとりました。ここ数年来なかった積雪量とのことです。
帰りも変わらぬ吹雪の中、何とか目をこらして青いポールを見つけ、それを頼りに降りていきました。
六合目付近まで降りるとやはり風は弱く、安心して残りの樹林帯を歩ききりました。
白の世界
憧れだった冬の大山ですが、登頂した時も、降りてきたあとも、達成感という感じはなく、「あの白ばかりの世界」は、一体何なのだろうと考えさせられるばかりでした。もう少し晴れていて山の様子がわかっていれば、また別だったのかもしれません。
ところで、去年私が夢中になった本の一つに『死に山 世界一不気味な遭難事故≪ディアトロフ事件≫の真相』という本があります。これは1959年にソ連で実際に起こった奇怪な雪山での遭難事故について書かれたものなのですが、この本の中で描かれていた「山」のイメージは、私の中に幼い頃から漠然とあるそれととても近いものに思われました。それは宇宙的に巨大で、果てしなくどこまでも広がっており、どんな存在でもいとも簡単に飲み込まれてしまうようなものです。今回私が登った「大山の白」は、どこかそのディアトロフ的な無窮感と通ずるように思われました。
スノーシューハイクで雪を学ぶ
登山の翌日は、大山のふもとをスノーシューでのんびり歩くモンベル開催のツアーに参加。大山周辺でガイド活動をされている生田裕貴さんに率いていただきました。
この2日間で積もったふかふかの新雪は、スノーシューで歩くには最高の状態で、寂静山周辺をめぐりながら、大山の信仰の歴史、雪の種類の見分け方や雪温の違い、樹木の周囲にできるツリーホールなどについてレクチャーしていただきました。
また積雪(路面)を層でとらえる見方や、等高線で見わける雪崩(崩落)が起こりやすい地形の判断など、作業道づくりにおける土(山)の見方とも通じる部分もあり、その点でも興味深かったです。
そのスノーシューハイクの途中、山から降りてきた数名の救助隊の方々とすれ違いました。前日の大山で遭難事故が発生して2名が行方不明になっており、朝からその捜索が行われていたのです(のちに1名の方が九合目付近で亡くなっていたことがわかりました)。
登山はもちろん、普段私が行っている“林内作業”でも同様なのですが、自然の中に入り、体を使って活動することには、当然ながら大きな危険もつきまといます。また、登山中の「せっかくここまで来たのだから」という気持ちと、作業中の「少しでも早く進めたい」と考える心象には、共通するものがあると感じます。
自然の中で活動することは、自然状況を的確に読むことはもちろん、自身の心のありようや、周囲の人の状態などにも同時が配慮がされていなければならない。そのことを身をもって実感するということがこのところ幾度か続いたこともあり、いろいろと考えさせられる登山になりました。