2021年の「森師研修員」
4月の着任から8ヵ月ほどが経過しました。
先輩のいない1期生ならではの試行錯誤に加え、暮らしの変化への適応や新たな人々との出会いなど、
日々の積み重ねを経て、いろいろなことが徐々に軌道に乗りつつあるように思われます。
今はこれからの本格的な寒さの到来を前に、防寒対策に考えを巡らしているところです。
とりあえず作業の休憩時間は、焚火で暖をとることでやり過ごしています。
初回の記事にも記しましたが、吉賀町の「地域おこし協力隊」である「森師研修員」は、複数年かけて毎年3名ほどを募集し、養成していく計画になっています。
来年度の募集にも、とりあえず定員以上の方の応募がある状況ですので、順当にいけばまた3人が加わることになりそうです。
来年3月には2年目を迎える我々は、これまでの「道作り」に加え、新たに導入する林業用の重機も活用しながら、利用間伐の方へも力を入れていくことになります。
先日来町していただいた「POLO社」の山中正さんと竹内典之先生から、その心得を概略的に学ぶ機会を持ちましたが、「森づくり」に密接に関わる選木や間伐の理論は、道作りとはまた別の奥深さ、複雑さがあり、その世界に触れられることを今から待ち遠しく思っています。
また、こうした素材生産業以外の取り組みもあり、その準備も整えつつあるところです。
写真は、竹内先生による作業道のヘアピンカーブの解説図。
道は、感覚頼りに作っていては、「崩れる」どころか、車が走れない道になってしまうため、正確を期すために頻繁に数字による確認作業が伴います。一見難しそうですが、式自体は簡単です。
日々の流れについて
「地域おこし協力隊」は、制度上週4日勤務が原則ですので、我々もそれに従っています。
朝8時30分に役場へ一旦集合し、現場作業の日はそこから車で30分かけて現場の町有林へと向かい、間に小休憩を挟んで12時まで作業、午後も同様に小休憩を挟み、16時くらいまで作業をしてから役場へ帰る、という流れになります。
なので、1日の作業時間は実質6時間ほど。重機に乗っている時間が長いということもあり、体力的なきつさは予想していたよりはるかに少なく、その分、作業道づくりや伐倒などの複雑な技術を、余裕を持って念入りに習得していくことができています。
休みの日をどこに入れるかは、天候の様子などを見ながらメンバー同士の話し合いで決めています。
この日に用事がある、という人がいれば、その日を休みにしたり、といった感じです。
その他に有給休暇や夏季休暇もあり、自由にとれますので、私は遠征山行の機会に活用しています。
実質週3日の休み、ということになりますが、私自身は町外も含め、あちこち動きまわっていますので(例:登山道整備、他地域の協力隊OBの方の手伝いや見学、茶摘みやお茶畑の開拓、樹木観察の勉強会、研修など)実質的に休みは週1~2日といったところ。
いろいろ面白そうそうなものを求めて外へ出ていくことが、結果的に副業になっています。
住んでいるのは柿木地区にある公営住宅で、一人暮らしにはもったいないほどの広々とした2階建てのきれいな家です(家賃は「地域おこし協力隊」の活動費から出ています)。
地元の檜の素材を用いており、家全体がやわらかな檜の香りに包まれていて落ち着きます。
食事は、家のすぐそばにある地元食材を使ったレストラン「柿の里」で食べたり、道の駅やスーパーなどで安く購入できる有機野菜などを使って適当に料理したりしています。
ネットは、奥まった地区でなければ問題ない速度で繋がりますし、通販も普通に届きます。
高津川下流の益田市まで車で40分ほどかけて出れば、マックやイオンなどが並ぶ日本的ロードサイドの風景へアクセスでき、ここで大体のものは揃います。
また、私はまだ利用したことはないのですが、車で1時間の石見空港を経由すれば、東京との行き来はかなり便利だそうです。
街⇔田舎の生活で見えてくるもの
田舎に移住する方、または移住を検討している方は、それぞれの価値観や考えを持っていることと思います。
私自身は、街での暮らしもそれはそれで好きなため、私の地元である広島市(別の街でもいいのですが)との“二拠点居住”(養老孟司先生が提唱されている“現代の『参勤交代』”)を念頭に置いてこちらへ来ました。
そのため実際は、「移住」というよりは、「少し離れたところへ引っ越した」という気持ちが強いです。
なので、時々は広島市へ帰省して、買い物や諸々の用事をこなしているのですが、広島市-吉賀町を結ぶ片道2時間の運転は、長すぎず短すぎず、気持ちの切り替えにはちょうどいいと感じます。
そのように田舎⇔街を行き来する暮らしは、両者の違いを明確に意識させられるものでもあります。
異なる点は、挙げればキリがないのですが、まず大きく言って「そこにいる感覚そのもの」が異なります。
田舎では、山や空気など、風景のいろいろなものの境界がどこかぼんやりとしており、曖昧なように感じられます。
反対に街では、事物を構成している輪郭がくっきりと明瞭に浮き上がっていて、見分けやすいように感じられます。
田舎は、野焼きの煙や、土、植物、作物などによる季節ごとの様々な“におい”がしますが、街はいつもほぼ無臭です。
田舎は、人が少ないかわりに、姿の見えない多くの生命がみしみしとひしめいているように感じられます。
特に外灯のほとんどない夜の真っ暗闇では、その濃度が一層強まります。
一方、街の夜はいつも明るく、車や人通りが絶えないことに安心感はあるものの、生命の気配はどこか乏しく感じられます。
この違いは一体なんなんだろうな、というようなことをよく考えます。
あくまでもぼんやりとした物思いに過ぎませんが、少なくともこうして“行き来”を繰り返すことで、絶えず新鮮な気持ちが日常の中に保たれているのは確かなことです。
どちらへ行ってもいつも「帰ってきたなー」と感じます。
ところで、私が田舎の生活で特に気に入っていることは、様々な「動作」が身につくことです。
チェーンソーや重機、刈払い機の扱いはもちろん、軽トラの荷台への荷のくくり方、教習所以来のマニュアル車の運転、自力でのタイヤ交換、様々な道具のメンテ、作物の収穫、土起こし……などなど、日々の生活に当たり前に必要となる種々の「動作」を繰り返すうち、それが身体の奥の方に浸み込み、習得されていき、そうすることでだんだんと自分がこちらの風景の中になじんでいく。そんなようなことを強く感じながら過ごした今年でした。