はじめまして。「日本に健全な森をつくり直す委員会」の事務局員として、2019年3月
に人口150万人の神戸から、人口6000人の島根県吉賀町柿木村(合併する前は
柿木村)に移住をした円山洋輔と申します。都会に住む同世代の若者たちへ向けて田舎生
活の魅力を発信し、環境省の「“森里川海”の思想」を広めようと奮闘中です。
せっかくなので、僕が奮闘している様子を皆さんにもお伝えしたくて、エッセイを始める
ことにしました。
第一回目は、僕の大学生時代から、運命を左右する事にもなった当「委員会」の事務局長
である天野礼子氏と出会うまでの話です。
1. 「環境問題」から「日本文化」へ
僕は現在25歳で、3年前までは近畿大学総合社会学部に通い「地球環境・まちづくり」
を専攻していました。入学した動機は、いま思うと少し偏った見方をしていたなと思うの
ですが、高校生の頃の僕は、「世の中の企業は自分の利益ばかりを追求して、自然を破壊し
ている。それならば自分は自然を守る人になろう!」と意気込んで、自分の学力に見合っ
た近畿大学に入りました。
「何か、自然と触れ合えるような活動をしたいな〜」と思っていたので、入学してすぐに
大阪八尾市の久宝寺緑地公園で毎年3月にアースデイイベントを開催するボランティア団
体(名称は「ハッピーアースデイ大阪」)に参加しました。
アースデイは、「みんなで環境について考えよう!」をテーマにしたイベントなので良いな
と思って入ったのですが、イベントを運営することがメインで、自然の中で活動するよう
なことはあまりありませんでした。ただ、このときのイベント運営の経験と、学校での「ま
ちづくり」の勉強に影響を受けて、「ローカルで、地域を巻き込んで“まち”を活性化する」
ことに僕は関心を持ち始めました。
大学1年生から大学4年生の春まで、アースデイの活動をしていた頃は、「マイボトルを持
ちましょう!」とか「環境にいい行動をしましょう」と言っていました。当時の僕はそれ
が絶対に正しいことだと思っていました。ところが、会議の場では周りの人はスナック菓
子を食べたり、ペットボトル飲料を飲んだりしていて、それを見るたびに「何か違うな〜」
と考えるようになってきたのです。
そう思っていたところへ、僕の環境への意識をガラッと変える中国語の先生(日本人)と
の出会いがありました。その先生は、中国語の先生なのに、なぜか毎回の授業の6割は日
本の思想や文化を教えるような方でした。「古事記」や「実語教」、「教科書では教えられて
いない歴史」など、今までの学校生活では教えられていなかったことばかりだったので、
衝撃を受けたことを今でも覚えています。
そこから、昔の日本人の考え方や暮らし方に興味を持つようになっていきました。そのよ
うな意識の変化があった上で、学部では「地球で起きている環境問題の視点を持ちながら
も、地域を活性化させていくためにはどうするか」を考えることが多く、講義の中では“里
山”の事例がよく取り上げられていました。
里山の生活を学ぶうちに、「古来の日本人は、自然に対して畏怖の念を持っているので、自
然と共生している。つまり、日本人の田舎暮らしそのものが、環境問題を解決させる手が
かりになる」ことに気づき、「将来は田舎で生活をしたいな〜」と考えるようになりました。
これまで、神戸や名古屋、大阪と、都会でしか生活してこなかったので、純粋に自然にあ
ふれた田舎に憧れを抱いていたことも大きいです。
2. 神社・銭湯・まちおこし
「日本の思想・文化を広めることが結果的に環境問題を和らげることに繋がる」と考え始
めた僕は、自分でも本やネットで、日本について調べるようになりました。そうする中で、
2つの事柄に関心を持つようになります。それが、「神社」と「銭湯」です。
そして、とある“ご縁”から、大学4年生の10月に兵庫県尼崎の銭湯でインターンをす
ることになりました。また、卒業後は企業には就職をせずに、重度障害者の介護の仕事を
する傍らで、インターンしていた場所とは別の尼崎の銭湯でアルバイトをしながら、これ
も偶然の“ご縁”で、尼崎の神社でマルシェ・イベントの運営に携わることになったので
す。僕にとっては、銭湯と神社をテーマにした「まちづくり」ができるということで、と
ても嬉しい気持ちでした。
3. 天野礼子氏との出会い
そうして尼崎でまちづくり(ここでいう「まちづくり」とは、地域住民と一緒に、自分た
ちのやりたいことを実現させること。自分の住むまちを面白くすること。)の活動をしてい
る時に、お世話になっている先輩がいました。その方から、ある日電話がかかってきて「あ
る作家さんが、アシスタントを探しているみたいなんだけど、興味ある?」と言われたの
で、「はい、一度お話を聞いてみたいです。」と答えて、2018年2月9日に会うことに
なったのが天野さんでした。
面会の場所は、尼崎市にある私立認定こども園「はまようちえん」のブックカフェ。
当「委員会」の委員の秦賢志さんが、「はまようちえん」の理事長をされています。
僕は、少し早めに着いたため、一人で本棚の本をパラパラとめくっていました。
“本を読む”。その行動が、今後の僕の人生を大きく左右することになるとは、その時は考
えもしませんでした・・・。つづく。