「なぜ、委員会の名称が、“森をつくり直す”なのか」
天野 礼子(事務局長・作家)いつも問われるのは、このタイトル中の一点です。 皆さんは、「日本人はどのように森をつくってきたのか」という、コンラッド・タットマン氏の本を読まれたことがありますか? そもそも、こんな本を外国人の日本近代史研究家に書いてもらわなければならない程、日本の森林研究者は、「親・林野庁」と「嫌・林野庁」に分かれ、不毛な対立に時間を使い過ぎてきてしまっていたのが、2003年までの日本の森林・林業界でした。 第2次世界対戦では、アメリカに家を焼かれました。無事帰ってきた戦士達の家も建てなければならず、全土でスギ・ヒノキ・カラマツの大規模造林がなされましたが、途中で材木が足りなくなり、“ロン(レーガン大統領)・ヤス(中曽根康弘総理)協定”で木材の輸入が自由化されてしまったことが、せっかく全土に植えた人工木がその後、全く間伐されず、林業そのものが衰退してしま…続きを読む